節電

昨日・・・

梅雨明けが発表された。

昨年の猛暑は、誰もが認める天災だったが・・・
今年は、東電の原発事故に端を発した政府主導の節電対策が、
ちょっと空回りしてるのでは・・・ なんてことをつい思ってしまう。

確かに3月11日の前までは、会社でも、家庭でも、社会においても
節電ということが、とっても大事だということは分かってはいたものの
湯水のように好き勝手に電気を使っていた。

そして・・・ 3月11日以降、関東では計画停電なるものが実施された。
あれから3ヶ月が過ぎ、必要な電力は確保され計画停電は実施されてないが
6月に熱中症患者が増大した。

その意味とは、節電と我慢の境目が曖昧になったことにあると思う。
本来、その境目というものは個々人の体調が基準であるべきはずだったのだが
やれ28度に温度設定して下さい。などという
マスコミや行政が主導する、標準設定なるものが金科玉条の力を持ち
いつしか錦の御旗を持って、一人歩きを始めてしまった。

さらには、少々のことは我慢しなきゃ・・・ なんていう
日本人が持つ美意識というか、頑張り根性がさらなる拍車をかけ
節電対策は、いつしか我慢比べなるものに進化してしまった。

家庭における節電対策は、まぁそんなもんで我慢比べ程度だが
会社というところに場を変えると、これがさらに進化の速度を速めるから
もう・・・ どうしようも出来ない。

廊下の電気を消せ。までは良いとして
室内の電気は半分に間引けに始まってから、どんどんエスカレートし
窓際の席は電気を点けるな。などの指示を総務が次から次へと出してくる。

挙句の果てには、あそこの企業は、あそこのビルは・・・ こんな対策をしている。
なんて情報収集がエスカレートし、
生産性というか能率というかものは、もうどうでも良くなってしまった。
全てがそうとは言わないが、そんな部分が目立つのも事実

この状態までくれば、もはや節電対策の域は通り越して
例えは悪いが、企業対抗の貧乏比べ大会だと言わざる得ない。

まぁ、それでもそれを幹部に愚痴ることすら出来ないのが辛いとこで
サラリーマンという生き物が、長い歳月で学んだ処世術が染みついているのだ。
いやはや辛いよ。ホント

それにつけても・・・ まぁなんだ。
夏休みは、取りあえず真面目に計画するとして
ま7月なんだけど、秋が待ち遠しいってのはどうしたことなんだろう。